「おたく」の精神史

コロちゃん、可愛すぎ


私の青春時代は、この本の記述している時期に重なります。


懐かしい名前が大挙して挙がっています。そう、いわゆるエロ劇画誌が大量に発行され、その中の一部が女性作家を起用したり、いわゆる劇画と呼ばれる作家達を排除しロリコンなどと呼ばれる作風を前面に押し出した紙面作りを推し進めた時期です。そのころの雑誌名を私は少なくとも片手では収まらないほど知っています。単にエロを求めるのでなく、新しい作風を持った作家を追いかける事に楽しさを覚えていました。

近藤よう子・火野妖子をはじめ、岡崎京子などもそうした流れをくんでデビューしています。

混沌とした世の中の状況をそのままコミック市場で再現するかのような混乱が、楽しさを加速させ表現方法も加速していき、やがて自滅していくのですがその一部始終をリアルタイムで体験してきた私には、この一冊はなんとなく手に取りにくいものがありました。

先日偶然手にして、やっぱりまだ自分の中では消化し切れてないなぁ、と思いました。私は常に、今の自分が一番好きでありたい、そう思っていますが、あの混沌とした時代の混沌とした劇画市場を体験しているときの自らの有り様は、ちょっとだけ懐かしく思えます。

もちろん、自分の生きた道筋としては所謂「私の恥ずかしい写真」の部類に属すような個人史ですけど、やっぱり若さに任せてかき集めた作家の作品などは、今でも時々手にしてみます。埃と共に立ち上る懐かしさ・ほろ苦さ・恥ずかしさは、ある意味では勲章なのかもしれません。

と、同時にそれを懐かしく思うほど自分が年を取ったのだ、と思うに至り取り返せぬ時間の流れに立ちつくしてみたりもするのです。

「おたく」の精神史 一九八〇年代論